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藤井(ふじい)
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  • 2025/01/16 17:47

無題

いろいろ

金曜日、マンションの郵便受を開けると、私宛の茶封筒が入っていた。
差出は某地方都市の生活福祉課。

この場所に関係しているのは あの人しかいない。
これが あまり良くない報せだというのは、なんとなく判る。
エレベーターの中で即開封した。

私の(血縁上の)父にあたる人物が、2月下旬に死亡していたらしい。
身寄りがなかったらしく、市で葬儀を執行。
3月末までに遺骨引き取りがなければ、無縁仏として市内の霊園に埋葬する、と。

遺骨は多分 引き取らない。
あの人とは縁がなかった。血縁上は繋がっているらしいが、私が生まれてから
2度ほどしか見ていない。顔もよく覚えていない。

(血縁上の)姉達はどうするのだろう。姉達にもこの報せは送られているはず。
もしかしたら、姉2人うちのどちらかは引き取るのかもしれない。
唯一母に育てられた次女は、私から見て普通の感性を持っているし・・・

私が母のお腹にいた時に、父は家庭を捨てて蒸発してしまったらしく
別に姉達に対して虐待などをしていたわけではないらしいから、姉達には
父に対しての思慕の気持ちは(少なくとも私よりは)あると思う。
母には怒りの感情しかなかったと思うけど。

まあ、私は姉達とも もう連絡が取れない状況なので知る術はないのだけど。
(引越しや携帯番号を変えた際、私からは全く知らせなかったし、
 姉や1度しか会ったことがない親族からの手紙類は全て処分してしまった)

今回のことで、私の人生における「縁」というものを思い出してみた。
(血縁上の)父とは、私が生まれる前から縁がなかった。
(血縁上の)母とは、生後3ヶ月までは・・・あったっぽい。
たまたま母が乗ったタクシー内での会話がキッカケで、その運転手(後の養父)
のお家に預けられるようになる。(正式な養子の手続きなどはせず)

当時、母は夜の仕事をしていたため、タクシーに乗る機会が多かったのだろう。
もしかしたらお得意様だったのかもしれないが、それにしても赤の他人の
赤ちゃんを預かって育てるって・・・すごいことだと思う。

私が預けられたN家はごく普通の家庭で、優しい父と母、そして
姉2人に囲まれて、私は本当の娘のように可愛がられて育てられた。

生後数ヶ月での事だったので、全く記憶自体は無かったが
時々産みの母親の所へ連れて行かれたり 役所へ行ったり、育てのN家の姉達と
結構歳が離れていたりと、うすうす「自分はこの家の子ではない」ということを
感じていた。何より、産みの母と長女と私は顔が似ている(苦笑)。

私が10歳の時に、産みの母と養母との間で、私を「引き取る」「渡さない」など
一悶着あった模様。最終的には私の意志に委ねられることになったが、
私はそれまで通り、育ての親の許で暮らすことを選択。
それ以後、産みの親と育ての親との関係が悪化。
諸事情で高校のあたりは産みの親の所に隔週のペースで行かなければならな
かったのだが その度に双方の悪口を聞かされるようになり、正直疲れてしまった。
「社会人になったら、もう産みの親と連絡は取らないようにしよう」と思っていたが
実際社会人になって数年後には、こちらからは全く連絡を取らなくなった。
それでも育ての親は気になるのか私が帰省するたびに「連絡は取ってるの?」と
聞いてくる。
「もう連絡取ってないし、知らない。あっちの家の姉たちのことも知らない」と毎回答えているがいい加減ウンザリし、帰省する日数も頻度も減っていった。

今思えば、私の辛抱が足りなかったとは思うが、わたしが産みの親の方とつながりがあるのか気になっていたんだよね・・・育ての親は。
そっけない返事をして悪かったかな・・・

----------

と、ここまで書いて、昨日(土曜日)は ぼんやりとベッドで過ごしていた。
いつの間にか寝てしまっていたのだが、暗くなってから携帯が鳴って起こされた。

育ての母からであった。
ちょっとしたいつもの雑談の後、血縁上の父が亡くなっていたことを告げた。
すると
「そういえば・・・」
と、急に早口気味に母が話し出した。
「以前街で女性に声をかけられてね、Y子(私の産みの親)の友人だと言っていて
 『あなたは○子(私)を育てているのよね? Y子、亡くなってるの聞いてる?』
 『ええっ、そんないい加減なこと言わないで。○子はそういう事があったら、すぐに
 私に話してくるわよ』
 『う~ん、でも・・・』」
母はその話を信じなかったそう。だから、私にもあえて言わなかったらしい。

昨日連絡のあった(血縁上の)父は、身寄りが無かったために市の方で戸籍や
住民票を追って私に連絡をつけたのだろうが、(血縁上の)母の場合、次女が
一緒に暮らしていたか もしくは面倒を見ていた可能性が高いので、死亡して
いたとしても、次女がいるから市は介入しない。
その次女にも私は新しい電話番号も転居先も伝えていなかったので、私に
母の死を伝えることが出来なかったのだろう。


なんと、今週末に2日連続で(血縁上の)両親の死を知らされるとは。
2人とも60代前半だったろう。今の時代にしては、早い死である。

少し驚いたが、そんなに悲しくはない。
一緒に暮らしたことが無かったからかな。
血のつながりのある人が死んだ、ただそれだけ。
孤独死であったろう父のことは、少し可哀想とは思ったが、そういう生き方を
選んだのは父自身であるし、何より結婚しない・子供作らない・家族関係の
希薄化等が進む現代社会では、孤独死などどいうのは別に珍しくも
嘆かわしくもないと思う。
私も配偶者に先立たれた後は、孤独死だと思うし。
産みの母は、次女がいてくれたから晩年は寂しい思いはしなかったんじゃ
ないかな。(長女も隣の県の祖父母に育てられたから、私ほどではないが
母への愛は薄かったろうし)

私には「母」「姉」と呼べる人たちが存在する。
血のつながりこそ無いが、別にそんなものは必要ないじゃないか。
一緒に暮らしていれば、家族になるのだろう。
昨日の電話の最後でも、母はいつもの口癖を言っていた。
「私もしばらく生きるけど、もし私が死んでも、お前達3人は姉妹なんだから
 何でも隠し事無く話して、力を合わせて生きていくんだよ!」

久しぶりに泣いた。春には帰省しようと思う。


  • 2011/03/06 14:10

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